医業理念の確立と浸透

--気になっています--

先日、少し風邪気味で、 20年来私の健康を管理して下さっている、 いわゆる、掛かり付けの医院を訪れた。 風邪がはやっている様子で、待合室は混雑を極めていた。

何か雑誌でもと思い、何気なく眺めていると、 一冊の本が目にとまった。

『もっと、コミュニケーション』

ずいぶん読み古した感じの本であったので、 相当長い間、待合室の書棚におかれていたものであったのだと感じたが、 私がその本の存在に気づいたのはその時がはじめてだった。 その本の中にある医師の言葉として次のようなものが掲載されていた。

--気になっています-

『相手の立場を考えるという心が、 患者さんにもう少し芽生えてきたら、 医師とのコミュニケーションが もっとよくなるという気がしますね。 たとえば「夜遅くてすみません」とか、 治ったときには「おかげさまで治りました」と 一言でも言ってくれればありがたいなと思います。

われわれは、あの人は治ったかな、 治ってるはずがないのに来ないな、 と気になるんですね。 ほかの病院へ行ったのなら、それでいいと思うんです。 「ちょっと心配になったんで大学病院へ行って、 おかげさまで治りました」とか、 なかなか言いにくいかもしれませんけど、 それを聞くとホッとしますね。

そういう会話がないと、 なにかあるときだけ利用されてポンと捨てられたみたいな、 非常に空しい感じがするんですね。』(*1)

ひとつの発見

体調が悪くなると、私たちは医院を訪れる。 診察をしていただき、薬を処方していただくと 「ありがとうございました」といって帰ってくる。 「先生に見ていただいたから安心」 この安心感がもてるのと、もてないのとでは大違いである。 いつも先生に感謝をしている。

けれども、たとえば、1週間後に先生に 「おかげさまですっかりよくなりました、ありがとうございました」 という報告をしたことがあるのか。 皆無ではないか。 まず、反省しなければいけないと感じた。

と同時に、ひとつの発見をした。

先生は、患者のそういう報告を・んでいたのだということを。

ここまできて、もう一度先ほどの先生の一文を読んでみる。 確かに、いわれるとおりだと感じる。 しかし何か違う。 コミュニケーションがとれなかった原因は、 患者が医者の立場を考えなかったからだけなのだろうか。 コミュニケーションが希薄になってしまっていることの責任の一端が、 医師の側にはないのだろうか。

病医院を経営する医師が、 みずからの医療観・人生観を どれほど、患者や社会に対して伝える努力をしているのだろう。 また、その医療観・人生観を みずからの病医院経営にどう反映させるかについて、 どれだけたゆまぬ努力を積み重ねてきたのだろうか。

このことは、医師みずからが、 自分の医療観・人生観の実践に対して、 どの程度真剣に取り組んできたかの指標でもある。 医師自身の生きざまが問われていると言っても過言ではない。

素晴らしい人生観・医療観が、 医療の現場で生かされることなく、 埋もれてしまってはいないだろうか。

この小論文では、 医師が自らの人生観に根ざした医業理念を確立することの必要性、 また、医業理念を考える上での重要な視点、 さらに、その実践のためのヒントを提案しようと思う。

「理念では飯が食えない」は本当か?

「理念では飯が食えない」という言葉をたびたび耳にする。 はたして、「理念では飯が食えないのか」 この論文を書き進める前に、 まずこの点を明確にしておく必要がある。

結論から言うと、 「理念では飯が食えない」のではない。 「理念を徹底的に実践しないから飯が食えないのだ」 理念が「絵に書いた餅」あるいは、 単なるスローガンになっているから飯が食えないのだ。

正しい理念を掲げることはさほど難しいことではない。 実は、理念で掲げたことの 地道な実践が何よりも困難なことなのである。

理念が正しいものであることは当然のことであり重要であるが、 経営の観点から考えると、 最も重要なことは、理念の内容にもまして、 理念をいかに深く信じて、 実践しようとしているかだといえる。

患者に心やさしく接すること

「患者に心やさしく接すること」 (日本医師会2000年4月1日医の倫理綱領3-注釈5)

この理念は正しいとしても、 病医院の隅々までこの理念が浸透していなければ、 あるいは、 浸透させようとの日々の努力を怠っているならば、 理念はスローガンでしかない。

例えば、病院であれば、 患者さんが、駐車場に車を乗り付けるところから、 玄関を入って受付をし、 診療科の前で順番を待ち、 検査治療を受け、 会計をして投薬を受け、 病医院を離れるまで、 患者さんの行動のすべての場面において、 スタッフ全員の一挙一動に、 どれだけ一貫して 「患者に心やさしく接すること」 という理念が実践され、息づき、現れているのか。

理念を「信仰に近いほどまでの情熱をもって維持してゆく」 との決意がなければ決してできることではない。

不断の努力を行っていたとしても、 それを実現することは、たやすいことではないのである。

「理念では、飯が食えない」という人達は、 その多くは、理念の実践に本気で取り組んでいない。 自らが、地道な努力を回避していることを、 ごまかすための言い訳にしているといわざるを得ない。

正しい理念をもち、それを実現することができれば、 あるいは、たとえ完全にできなくとも、 何としても実践してゆくとの姿勢を 崩すことなく不断の努力を続けることは、 経営にとって大きな貢献をもたらすことは疑う・地がない。

利益獲得が目的であってはならない

「医師は医業にあたって営利を目的としない」 (日本医師会、2000年4月1日医の倫理綱領)とあるし、 医療法7条にも同様の規定がある。

この規定は頑として守られなければならない。

多くの医療関係者が、 この規定を誤解しているのではないかと思われる。

「利益を無視するなどということはできない。」 「仙人ではないのだから霞を食って生きていくことなどできない。」 「したがってこの規定は、建前であり、 本気で守ろうと考える類のものではない。」 「医者だって食っていかなければならない」

この倫理規定を見てこのように感じるとしたら、 大きな誤解を犯していると言わざるを得ない。

この規定はどんなことがあっても守られなければならない。 ただ、利益をあげることと、 利益が目的であることとは別である。

医師が自らの我欲を満たすために利益をあげるのは、 利益が目的になっており絶対に慎まなければならない。 しかしながら、一方で、 正しい医療を供給しつづける という目的のためにあげる利益は絶対に必要である。 正しい医療を提供し続けるというということは、 病医院に課せられた重要な使命である。 その崇高な使命を全うするためにあげる利益は、 何としても確保されなければならない。

言いかえれば、 判断基準の第一順位に 「収益の獲得」があってはならないということである。 判断基準の第一順位は、 重要かつ崇高な使命の実践であり、 収益をあげることは、あくまでも、 重要かつ崇高な目的を達成するために必要な要素の一つである ということを片時も忘れてはならない。 主客が逆・しないよう常に注意が必要である。 そのためにも、普遍的な判断の基準としての理念を確立することが、 非常に重要となるのである。

理念と利益の関係

理念と利益が、相反するものだと考えているとすると、 これも大きな誤りである。 正しい理念を実践することと、 収益を得ることとは、二者択一ではない。 両方を同時に実現させる性格のものである。

「病医院を存続させるために最低限の利益が必要だから、 理念が守れない場合もある」というのは、 理念を守らないことへの言い訳である。

たしかに、「理念と利益が相反する」 と感じられる場面があるということは理解できる。 しかし、実は、二者択一だと感じられる項目は、 理念を守るための必要経費なのではないか。 考慮する・地などないのではないだろうか。 原価がかからず、理念の実践になり、 収益の獲得にもつながることがいくらでもある。 たとえば、先ほどの例「患者に心やさしく接すること」 (日本医師会2000年4月1日医の倫理綱領3-注釈5)で考えると、 「心をこめてあいさつを励行すること」や 「患者さんと笑顔で接すること」などは、よい例

松下幸之助が説く経営理念の必要性

経営理念を確立することについて、 経営の神様と言われる松下幸之助は、 次のように述べている。 倫理性を強く要求される医業経営においても そのまま通じるので紹介したい。

『私は60年にわたって事業経営にたずさわってきた。 そして、その体験を通じて感じるのは 経営理念というものの大切さである。 言いかえれば 「この会社は何のために存在しているのか。 この経営をどういう目的で、 またどのようなやり方で行っていくのか」 という点について、 しっかりとした基本の考え方を持つということである。

事業経営においては、 たとえば技術力も大事、 販売力も大事、 資金力も大事、 また人も大事といったように 大切なものは個々にはいろいろあるが、 一番根本になるのは、正しい経営理念である。 それが根底にあってこそ、 人も技術も資金もはじめて真に生かされてくるし、 また一面それらはそうした正しい経営理念のあるところから 生まれてきやすいともいえる。 だから経営の健全な発展を生むためには、 まずこの経営理念を持つというところから始めなくてはならない。 そういうことを私は自分の六十年の体験を通じて、 身をもって実感してきているのである。 中略。 経営にあたっては、単なる利害であるとか、 事業の拡張とかいったことだけを考えていたのではいけない。 やはり根底に正しい経営理念がなくてはならない。 そして、その経営理念というものは、 何が正しいかという、 一つの人生観、社会観、世界観に 深く根ざしたものでなくてはならないだろう。 そう言うところから生まれてくるものであってこそ、 真に正しい経営理念たり得るのである。 人間の本質なり自然の摂理に照らして何が正しいか ということに立脚した経営理念というものは、 昔も今も将来も、また日本においても外国においても通じるものがある。 私は自分の体験からそのように考えているのである。』(*2)

医とは何か

医療法には 「医療は、生命の尊厳と個人の尊重の保持を旨とし、 医師と患者の信頼関係に基づく、疾病予防等を含む、 良質かつ適切なものでなければならない」との規定がある。

これは医療の目指すべきものが規定されているのであって、 「医」の定義ではない。

正しい医業理念の確立のためには医とは何かということを 真剣に考えることが要求される。 これなくして、医業理念は確立し得ない。

「医は、人間の癒しの技」(ヒポクラテス)

「医とは、人間が自然の一員として生まれ、 生き、死ぬための手立ての一つである」 (森亘日本医学会会長)

「医はサイエンスに基礎づけられたアートである」 (日野原重明聖路加国際病院名誉院長)

学者の岡田節人博士は、 「『いのち』というのは、 いまだかつて一度も途切れたことのないもの」

「死とは、細胞同士の話し合いが途絶えるとき、 それを死ということができるかも知れない。」

「実証はされておりませんけれども、 『いのち』というものはただ一つ、 一回しか生まれたことがないという認識は、 今日、発生学のほうでは常識になってきております。」 といわれた。

この発言を受けて、 盛永宗興老師は、次のように解説しておられる。 仏教では、2500年前、釈尊の直感によって、 また歴代の祖師たちの直感によって、 『唯一のいのち』の自覚が、伝えられてきました。 歴代の祖師に限りません。 こうした『いのち』の自覚に達した人々は、 数多くいたのです。 有名になった人もいれば、 無名のまま、ひっそりと生涯を過ごした人もいたのでしょうが、 こうした多くの人々によって、 『いのち』の自覚は人から人へと伝えられ、 まわりにいる人々は、 その『いのち』の香りを感じたのです。 『いのち』の自覚に達した人には、 ある種の雰囲気が生まれます。 そして、それは、まわりの人々に自然に影響を与えます。 中略 その『いのち』の自覚というものが、 ずっと伝えられてきた。 次から次へと自覚する人が出ることによって、 それは失われることなく続いてきたのです。 それは禅者としての生活実感である、といってもよい。 つまり、これは単なる理論や理屈ではなく、 はっきりと感じることのできる事実なのです。 ですから、20世紀も終わろうとする時期になって、 この50年来発達してきた生命科学、発生生物学の分野において、 「『いのち』というのは、ただ一回、 一つだけ生まれたということが、共通の認識になっている」 と岡田博士が断言されたのは、非常に興味深いことでした。 宗教も、自然科学も、 『いのち』と呼ぶことのできるものは、ただ一つであり、 そのただ一つの『いのち』が、 ありとあらゆる存在となって現れてきている、 という認識に達しているのです。 中略 自己の内なる『いのち』を自覚することなく、 いくら知識をひけらかし、データを掻き集め、論理を積み重ねても、 それは風に舞う塵のように、はかなく、意味のないものです。 さらにいうなら、それは必ず混乱を深め、対立を助長し、 一つの策を適用すれば、その副作用として、 無数の難題が生じてくるという性質を持っているからです。 いま、我々に求められているのは、 我々自身の内にある、大いなる力、 『いのち』そのものに気づくことです。 これなしには、いかなる政治も、いかなる学問も、 究極的には意味のないものです。(*3)

医は『いのち』を直接扱う

私自身は、『いのち』を扱うという点に 医のもっとも大きな特殊性があると感じている。 医は、人の『いのち』を直接に扱うという点において、 他のいかなる仕事よりも、倫理性が要求される。 収益のことを一切抜きにして、 医の本来の姿は何か、 『いのち』とは何かといったテーマを、 一度しっかりと考えてみる必要がある。

『いのち』というものを、 単に、個体の存続と考えるのか、 それとも、岡田博士や、盛永宗興老師がいわれたように、 いまだかつて一度も断絶したことなく、 永遠の彼方から永遠の未来へ向かって 続いていくものと捉えるのか。 医療に携わるものは、何をおいてもこの点を、 じっくりと感得しておく必要があるのではないだろうか。

理念実践のヒント

これまで、理念の必要性と、 正しい理念を確立するために 必要と思われる重要な視点について述べてきた。

しかしながら、如何に正しい理念が確立されても、 それが実践されなければ「絵に書いた餅」でしかなく、 「理念では飯が食えない」という批判を受けることとなる。

この章では、理念を実践するためのヒントを、 私のコンサルタントとしての経験の中から紹介しようと思う。 ただこれらはすべて、技術論、テクニックではない。 あくまでも実践原理である。

自分の考えを衆目にさらす

自分が何を考えているのか。 自らが経営する病医院はどんな理念を持ち、 どう実践しようとしているのか、 あるいは、実践してきたのか。 伝えるためだけでなく、 自らの退路を遮断する意味でも不可欠である。

トップの不断の人間的な鍛錬が不可欠

経営体の理念遂行の水準は、 トップの器以上には、決してならないものである。 だから経営者たるものは、 みずからの人生観、医療観、というものを 常日頃から涵養していくことがきわめて大切だといえる。 経営者自らの理念に対する「信」が、何よりも問われる。 人格・説得力・先見力・利他の心などなど、 これらの総和が、自らを動かし、 スタッフを動かし、患者に感動を与え、 ひいては社会と国家を変革していく原動力となる。

あたりまえのことをあたりまえに実行する

医療・事者である前に、 人としてあたりまえのことをあたりまえに実行する。 その難しさと素晴らしさを知り、 勇気をもって実践する。

あいさつがよい例である。 残念ながら、 気持よいあいさつが、 院内で徹底的に実践されている病院を私は知らない。 個人医院には数例あるが。 凡事徹底が大きな力となる。

今すべきことを今実践する

過去は戻らない。 くよくよ考えても仕方がない。 未来は未だ存在しない。 大切なのは「いま」である。

正しい問いの立て方

問題にぶつかった時、 正しい問いの立て方は、 「これはよい方法なのか」ではなく、 「この方法は当医院に合っているのか、 医院の基本理念と理想にあっているのか」である。 普遍的な理念は、常に拠るべき判断の基準となる。 また、そうでなければ、スローガンになってしまう。

素直な心になること

松下幸之助は 「素直な心」について、以下のように述べている。

『素直な心になれば、物事の実相が見える。 それに基づいて、何をなすべきか、 何をなさざるべきかということもわかってくる。 なすべきを行ない、なすべからざるを行なわない 真実の勇気もそこから湧いてくる。 一言で言えば、素直な心はその人を、 正しく、強く、聡明にするのである。

碁は一万回うてば初段ぐらいになるのだという。 だから素直な心になりたいということを強く心に願って、 毎日をそういう気持で過ごせば、 一万日すなわち約三十年で 素直な心の初段にはなれるのではないかと考えるのである。』(*4)

自分にしかできない仕事があると考える

現場の医療・事者にしかできない仕事を、 おろそかにしていないか。 これは、医療を提供することをさしていっているのではない。 目の前の患者になりきることは、 現場の医療担当者にしかできない。 そして、目の前の患者になりきらなければ、 できないことが実はたくさんある。 もう少し具体的に言うと、 たとえば、目の前の患者の不養生を、 タイミングを失することなく、 親の心で叱責できるの人は、 この世に一人しかいない。 代わりはないのである。

強く意識する、手を抜かない、うそを付かない、続ける

あたりまえといえばあたりまえ。 でも真理である。

最後に

この論文の最初に引用した 「もっとコミュニケーション」 から次の詩を紹介して終わりたい。 この「願い」に応えることができる専門家は、 あなたしかいない。

『願い』 谷川俊太郎 いっしょにふるえてください 私が熱でふるえているときは 私の熱を数字に変えたりしないで 私の汗びっしょりの肌に あなたのひんやりと乾いた肌を下さい

分かろうとしないで下さい 私がうわごとを言いつづけるとき 意味なんか探さないで 夜っぴて私のそばにいて下さい たとえ私があなたを突きとばしても

私の痛みは私だけのもの あなたにわけてあげることはできません 全世界が一本の鋭い錐でしかないとき せめて目をつむり耐えて下さい あなたも私の敵であるということに

あなたをまるごと私に下さい 頭だけではいやです心だけでも あなたの背中に私を負って 手さぐりでさまよってほしいのです よみのくにの泉のほとりを(*5)

引用文献・参考文献

(引用文献)

(*1、*5)「もっとコミュニケーション」

アップジョン文庫8

(*2、*4) 松下幸之助「実践経営哲学」

PHP研究所7、13、112ページより引用

(*3) 盛永宗興「おまえは誰か」

禅文化研究所 71、89ページより引用

(参考文献)

1)「厚生白書」平成12年版厚生省

2)「医療の基本ABC」日本医師会

3)日野原重明、犬養道子「ひとはどう生き、どう死ぬのか」岩波書店

4)ベルト・カイゼル「死を求める人びと」 角川春樹事務所

5)王瑞雲「おせっかい先生の診療室」樹心社

6)橋本行生「医療をささえる死生観」柏樹社

reports/report3.txt · 最終更新: 2009/05/31 10:17 by 寺本和生
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